四辻、15年間卓球頑張りましたが、微妙でした笑

こんにちは!埼玉大学経済学部4年の四辻明大(よつじあきひろ)です。3月でついに大学も卒業して4月からは東京か大阪か名古屋で働く予定です!

他大学の4年生が引退ブログを書いているので、自分も書いてみることにしようと思った11月頃に走り書きした文章が残っていたので、卒業する前に形にしておこうと思います。

僕は10/5の全日本選手権予選で引退しました。関東学生リーグはなくなってしまったけど、最後に公式戦に出場できて嬉しかったです。結果は法政大学の選手に1-3で敗れ、初戦敗退しました。彼は最終的に埼玉予選で優勝していました。そんな選手に少しだけチャンスがあっただけに悔しかったです。でも、いつも強い選手に、「あとちょっとだったな」って思って、結局勝てない、という繰り返しの15年間でした。あとちょっとは、ちょっとに見えて、全然ちょっとじゃないです。何回同じ想いをしてきたことか。
敗戦してベンチに戻ったとき涙が出てきました。コロナなのでベンチには誰も居ないけど。もし木村か川村さんか福江さんか父親がベンチにいたら大号泣していただろうな。色々あったなあ。

ということで、今回は四辻明大、15年間の卓球人生を振り返る自分語りをします。自分語りは心理学的に、超気持ちいいらしいです笑

15年も卓球やっている割に実力が伴っていないなあと思います。

15年も卓球やっているので、もう少し強くなりたかったです。もっとバックハンドをブンブン振りたいけどバックはミートしか出来ないし、YGサーブは何年経っても出来ないし、令和の時代にオールフォア卓球しているし。大学に入ってから強くなったと思うけど、想像していたよりは強くなれませんでした。

まあそんな僕でも中級者界ではトップクラスにはなれたと自負はしてます。その辺のオープン大会に出たら、だいたい3位には入賞できる、くらいにはなりました。関東の国公立大学(筑波大除く)の選手だと1番強いと思うし、他の人も納得してくれるはず。(異論は認めます)

でも1,2部の選手には刃が立たないし、段位は持っていないし、全国には自分よりも強い国公立大学の選手たくさんいるし。んー、微妙な感じです。


父の影響で卓球を始めたので、いつかは全日本選手権に出場して、ベンチに父を招待するのが夢でした。全日本に出るのを「目標」って言ったら笑われちゃうので、「夢」です。せめて「目標」って言えるくらいの実力になりたかったですね。一応全日本予選では代表を取る気持ちで臨んでいて、後悔ないようにめっちゃ練習しました。週9回は練習しました。かなりコンディションも良かったので、これで初戦敗退となると、諦めが付きます。

埼大卓球部、アットホームだよなあと思う!みんな1人暮らしで家近いし!夏休みとか、朝から夜まで一緒に居るので、きもいけど、家族なんじゃないかと思う瞬間がある。みんなもあるよね???夏に頑張って夏休みの最後に迎える秋リーグは最高です。チームができあがっている。

卓球年表を書いてみた。

小2:父の影響で卓球を始める。球拾いが大嫌いでした笑
小5:ホープス全道大会で8位。初の全国大会出場!全国大会は早々に負けて、家族で関西観光を楽しむ。
小6:卓球をやめようかと思ったけど、いろいろあってやめない。だらだら続ける。

中1:苫小牧市立明野中学校卓球部入部。顧問の中川先生が本当に恩師。部活の先輩方にも感謝。皆さんに出会えなかったら今は卓球やってないと思います!小学校から卓球を始めていれば市内ではスターになれるので楽しかったです(笑)団体でエースとして活躍して、ベンチから応援してもらうのが最高でした。
中体連全道:ベスト32、カデット13歳以下:ベスト16で全国はいけませんでした。

中2:中体連全道大会で、外シードとして出場するも、前日に38.3の発熱、泣いた。カデット14歳以下北海道予選では3位になり、2回目の全国大会出場。全国大会(越谷)では今の早稲田大学のサウスポーに初戦でスコられ、東京観光を楽しむ。この時期から駒大苫小牧高校の練習に参加させて頂き、高校3年生までお世話になる。勝手に第二の母校だと思っています。本当にありがとうございました。

中3:ベスト8で全中出場。代表を決めた時に生まれて初めて流したうれし涙は忘れない。全国大会は初戦で今の専修大学のレギュラーに2,3,2点でスコられ、岐阜観光を楽しむ。ありがたいことに卓球の推薦もお声がけいただいたが、地元の公立校苫小牧東高校に進学。

高1:ハイキュー!!に憧れ、バレー部に入部しようとするも、部員が1人しか居なかったので、やっぱり卓球部に入った(笑)駒大苫小牧、尚志学園(現北海道科学大学高校)、札幌国際大学の練習に参加させていただく。マジで感謝。公立で全国行ったらかっこよくね?と思い、頑張る。インハイ予選は初戦敗退。YouTuberのわったさんにラブゲームされました(笑)、ジュニア予選はベスト64。

高2:インハイ予選ベスト32、ジュニア予選のベスト32どまり。悔しい。

高3:最後のインハイ予選は気合入れて坊主にしたけど初戦敗退!発狂して敗者審判できなかったのでダブルスの相方に代わりに審判してもらいましたw

大1:ラクロス部に入ろうか迷ったけど、現在大学院2年生の川村さんに「一緒にリーグ戦おう」って言われて、なんて熱い人なんだと驚き、埼玉大学卓球部に入部。冬に膝を疲労骨折して3ヶ月間離脱。萎えました。
春リーグ:単2勝1敗、複1勝2敗
秋リーグ:単4勝1敗、複1勝4敗
全国公:単ベスト512、複ベスト16、団体ベスト8

大2:冬に2回目の疲労骨折して3ヶ月間離脱。萎え!主将になる。
春リーグ:単2勝2敗、複2勝2敗
秋リーグ:単2勝2敗、複2勝3敗
全国公:単ベスト256、複ベスト128、団体ベスト8

大3:疲労骨折しなかった!嬉しい!
春リーグ:単1勝2敗、複2勝3敗
秋リーグ:単4勝1敗、複3勝2敗
全国公:単ベスト256、複ベスト32、団体ベスト8

3年の春リーグは激アツ過ぎた。レギュラーじゃない人も泣いてていいチームだと思いました!

大4:コロナああああ。せっかく疲労骨折しないで冬の間練習できたのに。

関東学生リーグの成績は、単15勝9敗、複11勝16敗。ダブルス負け越してすいません。シングルももっと勝ちたかったな。とまあこんな感じの15年間を送ってきました。
中学生までは全国出てて、なかなかイケてる卓球人生だったと思うんですけどね、高校から成績を残せなくなってしまいました。公立高とか、国立大を言い訳にしないで、かなり頑張ったんですけど、やっぱり私立の壁は高かったです。

「文武両道」は基本的に「二頭追うものは一頭も得ず」になる説

文武両道は素晴らしいとか言うじゃないですか、それって本当でしょうか。文と武、それぞれどのレベルまで到達すると両道していることになるか、というのは人それぞれの感覚ですが、僕の感覚では、
文:旧帝大、早慶レベルの大学合格
武:インハイ個人出場、全日学個人出場
が文武両道を成し遂げている状態だと思っています。僕は両方本気で目指したけど、両方無理でした(笑)これを成し遂げている人って全国に何人居るのでしょうか?ほんの数%じゃないですか。僕を含む多くの人は文武両道ではない!どちらも中途半端にしてしまい「二頭追うものは一頭も得ず」になっている!と思う!

卓球で結果を出すには、勉強という保険をかけている時点で覚悟が足りていないので、結果出せる訳がないと思いました!卓球で結果出せなかったのは悔しいけど、仕方ないとも思います。

本当に文武両道を成し遂げている方々は本当にすごいなと尊敬しています。

卓球で仲良くなった人は大事にしたいです

上智、立教、理科大の人たちは別のチームとは思えないです!
埼大含めて4チームともスポーツ推薦なしでリーグ戦やるので、毎回降格しないかヒヤヒヤしてました笑 お互いの気持ちが分かる。でも同じリーグになったらお互いに全力で落としに行くっていう笑
リーグ戦の前の練習試合も懐かしいです。みんな最高です。

埼大、立教、上智、理科大がみんな残留した後の勝利の美酒!勝手に載せてごめんよ!

群馬大、茨城大、高崎経済大、宇都宮大の5大学のみんなもお世話になりました!定期戦と飲み会楽しすぎ!先輩も後輩も合わせると4年間で何人と関わったんだろう、、!

5大学集まる大会は激アツでした!個人戦で優勝するのが当面の目標でした。

ここには書き切れてないけど、埼大にたくさん練習しに来てくれた皆さん(江川とか笑)、俺弱いのに練習に参加させてくださった大正、慶應、東経の皆さん、オープン戦一緒に出てくれた皆さん、卓球バイトで教えさせて頂いたみなさん、社会人の練習してくださった皆さん!本当に感謝してます!これからも仲良くしてください!

まだまだ書きたいことがある!

今回はこれくらいにしておきます!他にも卒業する前に書き残しておきたいことがあるので、全部書き切ってから去ります!それでは近日中に!