埼玉大学卓球部6年間ありがとう!!!~世界で活躍する卓球の研究者になります~
こんにちは!理工学研究科修士2年の川村賢吾(かわむらけんご)です😊
前回の5月のブログから半年以上経ちました。あの頃はコロナ禍で就職活動の真っ只中、不安なことが多すぎてこれからどうなるのだろう…と全く先が見えない状況でした。
そんな中でも無事に就職が決まり、大学院も終了し、春からは大阪で新社会人生活をスタートすることになります。お世話になった方々、この場をお借りしてご報告させていただきます🙇♂️
前々回のブログでは、四辻が卓球人生を振り返ってましたので(度々名前を出してもらい恐縮です…)自分はこの埼玉大学卓球部で過ごした6年間を振り返ってみたいと思います!面白いことはほぼないのでお時間ある時に最後まで読んでいただけたら嬉しいです!
【2015年】1年生 〜埼玉大学に合格する〜
自分は中学校の部活で卓球を始め、高校は公立校に進み、どちらかと言えば勉強優先でした。
それでも卓球が大好きで、色んなラバーを使っては替える、いわゆる用具オタクでした。中学生の頃は暇さえあればメーカーのカタログを見たり、用具のレビューを見たりしてましたね。笑
もちろん卓球も上手になりたい一心で、休みの日は部活の友達と近くのコミュニティーセンターで練習したり、元々土曜しかなかった中学校の部活を、顧問に無理言って土日両方練習にしてもらったり(顧問だった宮崎先生すみません)、練習したすぎて家族の予定なんて全然優先してませんでした。
その頃から卓球関係の仕事に興味が出始め、将来は卓球のラバーを開発したいな…と思うようになり、卓球メーカーで研究者になることが憧れでした。(その時はまだ鳥類学者になるか薬剤師になるかふわふわしてましたが笑)
あとは、中学の同じ地区に、強豪クラブがあり、『いくら練習してもこんな人たちに一生勝てんわ!』とプレイヤーとして職に就くのは半ば諦めたのも理由の一つです笑笑
高校では目立った成績を残すことは出来ず、最後の総体では地区予選の初戦でシード落ちするという残酷な結果で終わりました。(坊主にしたのになぁ…、あれ、四辻と同じ?)
進学先を選ぶ際は、卓球が充実できてかつ、化学を学ぶことができる大学を考えました。今だから言えますが、当時は埼玉大学を受験することは全く考えてなく、東北大学の卓球部に入りたくて(ユニフォームめちゃくちゃカッコいい…)勉強しましたが、数学が壊滅的にできなかったので、前期に数学がない埼玉大学の工学部応用化学科を受験して合格しました💮
当時の埼玉大学卓球部はというと、5部から4部に昇格し、先輩方に強い方が沢山いる良いタイミングでした。今を考えると5部にいたなんて嘘みたいな話ですが、当時の先輩方は今以上に苦労されていたんだなぁと思います。余談ですが、自分が4部時代を経験している最後の学年となってしまいました。
初めて練習に参加した時、予め部活のホームページで先輩方全員の顔と名前を一致させて行ったのですが、何故か名前のない、凄くおっきな人がサーブ練してて予習の意味が全く無かったのを覚えています(初手先輩です)。
入部してからは関東学生リーグで勝利することを目標に毎日部活を楽しみに大学に通うようになりました。先輩方が良く面倒を見てくださり、本当に充実した大学生活を過ごしていました。怪我をするまでは。
1年生の秋に膝を疲労骨折し、2年生に上がる直前まで思うように練習できず、中途半端に練習をしたせいで返って悪くしてダラダラと怪我を長引かせてしまいました。
秋のリーグ戦で埼大は3部に昇格し、先輩や同期が活躍してるのを見ると、どんどん周りから遅れをとってしまっていることが辛くて、勉強にも力が入らなくなり、1年後期の成績はだいぶ落ち込んだのを覚えています。笑
埼大卓球部の良いところとして、他大学にたくさん練習に行けたり、外部から練習に参加してくださる方が多く、交流がたくさんできるのが魅力なのですが、怪我をしてる自分は勿論それも出来ず、当時は外との繋がりもなかなか広がることができませんでしたね。
それでも春休みに上智大学さんの合宿に参加させていただいたり、関東学生の同期と仲良くなり始めたり、少しずつ輪が広がっていくのが楽しかったです。
【2016】2年生 〜3部ってこんな強いの〜
2年生の春リーグ、埼大卓球部は何年振りか分からない3部でのリーグ戦でした。3部からは試合形式が6単1複となり、試合に出れる人数が増える分、今までより一層試合に出たいという気持ちが強くなりましたね。
結果としては春リーグでは自分は試合に出ることは無く、チームは6位で最下位となり入れ替え戦に臨むことになりました。奇しくも、入れ替え戦の相手は3部昇格の際の入れ替え戦の相手と同じ立正大学となり、因縁か何かを感じましたね。なんとか勝利し3部残留が決まった時はほっと安心してよく眠れました。笑
次の秋リーグでは3部で4位となり、部の最高記録タイという成績を収められました。素直に嬉しかったですね。ただ自分は未だにリーグ戦の出場経験はなく、2年生が終わろうとしていました。この頃は授業や実験も忙しく、卓球はレギュラーになるためだけにやっていた感じでした。本来卓球は楽しいものだという感覚が薄れていたかもしれないですね。
【2017】3年生 〜リーグ戦に初めて出る〜
この年に今の4年生が入部してきました。四辻のブログでも書かれてましたが、当時はTwitterでDMを送りまくって勧誘し、四辻もそのうちの1人です。笑
今思うと、個性豊かな面々が入部してくれ、同期みたいに一緒に夜遅くまで練習してました笑
3年生の春リーグでは遂に試合に出場することができました。が、初試合が降格するか残留するか大事な試合の7番という、超重要なところに置かれました。本音は自分まで回ってこないでくれ…とも思っていましたが、運良く(?)3-3で回ってきてしまい、結果自分は試合に負け、チームも負け、最下位となり入れ替え戦へ臨むこととなりました。
この試合が自分の大学生活でも1番悔しくて、チームにも迷惑をかけたと今でも思っています。本当は自分まで回さずに勝つオーダーだったらしいですが、オーダーに書いてもらう以上は勝つ以外は何もないので本当に悔しかったですね。
秋リーグでも1試合出場しましたが勝利は出来ず、リーグ戦で1勝も出来ないまま3年生が終わりました。
【2018】4年生 〜リーグ戦初勝利〜
4年生になると、学科の中で研究室に配属され、自分は有機合成系の研究室に配属となりました。この類の研究室は朝から夜まで実験室にこもることになるのですが、自分の研究室も例外では無く、拘束が多くて思うように練習時間が取れなくなりました。部活が終わってから後輩に練習相手をしてもらい、その後また研究室に戻って日付が変わる頃家に帰る生活が始まり、中々身体もキツかったです…
周りは3年生で部活を引退する人も多かったのですが、自分は変わらず続け、春リーグでの勝利を目標に練習を続けていました。正直なところ、オフシーズンの練習試合ではそれなりの結果が出ていたので、春リーグはレギュラーとして起用されるだろうと勝手に思っていて、試合に出るつもりでリーグ戦の準備をしていました。
しかし、蓋を開けてみれば1試合も起用されず、試合に負ける悔しさとは違った挫折感を味わう結果となりました。正直もういいかな…ってところまで落ち込みました。でもリーグ戦が終わって帰るときに監督の東幸さんから『腐るなよ』と声をかけられ、その一言で秋まで頑張ろうと決意しました。
そして迎えた4年の秋リーグ、自分は遂にリーグ戦初勝利を挙げ、チームに貢献することができました。応援してくれてた人たちも自分のことのように喜んでくれていてほんと嬉しかったなぁ…。長野さんはじめ、指導してくれた方々に感謝しかなかったです。
最終的にはリーグ戦では1勝3敗と決して活躍したとは言えない成績を残しましたが、部の中ではSNSを積極的に更新したり、部活のYouTubeを作って試合動画をまとめるシステムを作ったり、モチベーションビデオや部活紹介動画を作ったり、見えにくいところで色々動いていました。
関東学生3部以下でやる80人近く集まる飲み会の幹事もやったりしました(東大の三浦、横国の横山ありがとう)。
卓球を通じて知り合いは数百人は増えましたし、リーグ戦で勝利したこと以上に、人との繋がりを作ることができたことが部活をやってきて1番良かったことです。
秋リーグ後には、lili卓球さんが主催された27時間卓球の企画に参加させていただき、卓球のラバーを開発するという目標を語らせていただきました。この時、初めて多くの人の前で目標を言って、動画にも残り、自分の中で卓球メーカーに就職するということが明確になった瞬間でした。27時間卓球でお世話になった方々、本当にありがとうございました。
【2019】大学院1年生 〜後輩たちの頑張りに感動〜
大学院生になってからも部活にはお邪魔させていただき、快く一緒に練習してくれた後輩たちには本当に感謝してます。
リーグ戦では、春が3部3位、秋が3部2位と、創部以来最高の成績を更新し続けてくれました。自分もベンチに入って応援していましたが、本当に感動しました…。
大学院時代はT.T.彩たまさんと一緒にイベントをやったり、Tリーグの運営に関わらせていただいたのも貴重な経験です。
また、都内でコーチのアルバイトも始め、つい先日まで2年間働かせていただきました。これも大学時代にお世話になった他大学の先輩からのお誘いで、人との繋がりを感じました。
選手としてプレーするだけでは分からない指導の難しさ、幅広い年代の方々と楽しくレッスンする為のコミュニケーション能力、様々なことを学びながら卓球に携わり働くことができたことは自分の中で財産です。
【2020】大学院2年生 〜卒業、就職〜
大学院の2年生になってからはコロナの影響もあり、制約の多い中での就職活動や研究に励みました。
部活はほとんどできず、リーグ戦も無くなり、後輩たちは非常に苦しい一年だったのではないかと思います。自分自身も学生最後のリーグ戦をベンチで応援したいという想いが強かったので、リーグ戦ができなかったことは本当に残念でした。
是非、来年も残る後輩たちには目標達成に向かって頑張ってもらいたいと思ってます。
最後に
長くなってしまいましたが、この6年間、埼玉大学卓球部には本当にお世話になりました。
こうやって改めて振り返ってみると、大変なことも多かったですが、充実した学生生活を過ごすことができたと感じます。
4月からはミズノで研究開発職として働くことが決まっています。卓球メーカーで働くという1つの目標は達成できました。これからは世界一のラバーを開発するという長年の目標に向けて、社会人生活をスタートさせます。いずれは自分が開発したラバーが皆様の元に渡り、使っていただけることを夢見て、これから頑張っていきます。国内だけではなく、世界中を飛び回って、卓球の楽しさを伝えられる研究者になりたいですね。いつか卓球王国で特集される時が来たら、読んでいただけると嬉しいです笑
学生生活を通じて出会った仲間、お世話になった方々には感謝の気持ちでいっぱいです。これからは埼大卓球部を陰ながら応援していきたいと思います。
それではまたいつか会う日まで!
埼玉大学卓球部6年間ありがとう!!!
川村賢吾